Around the Corner -5ページ目

科学者でも、予知能力者でもないからね…

先週の日曜日から腰が痛い。

日曜のスタジオ終えてから、しばらくして「あっ、痛いかな?」だったのが水曜日には激痛になった。

原因というか、きっかけが分からない。

木曜日に病院へ行ったが、そのきっかけが分からないので「絶対にこれです!」という断言ができないらしい。

レントゲン写真の前でいろいろな可能性を説明してもらい、結局、湿布とコルセットもらって様子見することになった。

実は、コルセット初体験。あまり味わいたくない始めてだ。



某所で。


yosh_guanは理系だったよね? ぶっちゃけ、どうなりそうなのか教えてほしいよ。 RT @yosh_guan: @…… もうひとつ。再臨界の噂について。 http://bit.ly/gGWxH0


というRTをもらった。福島原発1号機再臨界の可能性云々についてのリプライした、そのRTだ。的外れかもしれないけれど、こんな文章を打った。4月2日の深夜。


@…… 福島原発に限定しても「ぶっちゃけ」は予測できません。実際、専門家の解説は初期(水素爆発)の時点で説得力がなくなりました。理系の括りでいうと0%か100%起こる事象でないと「絶対」の言葉は使いません。今、その「絶対」がない状況です。(つづく)

@…… ただ、自分なりに「ぶっちゃけ」ると、再臨界よりも、「放射性物質は漏れている」がどこからなのかどの程度なのかは分からない、施設破壊の詳細と含めて、正確な公表が出るまではあらゆる可能性があるかと。余震も続いてますし予断を許さない状況だと思います。


で、少し迷ってから、もうひとつ、こんなのを打った。


@…… Twitterも難しさを改めて実感しました。他にも思うことは多くあるのですが。文字数制限。ブログに書き連ねます。


ということで、超個人的な呟きの前置きを連ねてみる。



自分は確かに理系だったけども、科学者でも、ジャーナリストでも、予知能力者でもない。なんとなく理系を選んだぐらいの、いい加減な奴だ。ただ、3月11日以降、似非科学者やジャーナリストや予知能力者が溢れていた状況を、あまり好ましいとは思っていない。どちらかというとイヤだ。


東日本大震災を、全体としてみると、どうしても焦点がぼけてしまう。それは被害はもちろんのこと、今後のことを考えると、あまりにも大きすぎるからだと感じていた。某大臣が語った「戦後最大の国家的危機に直面している」は文字通り、その通りだと思っている。


だから、福島原発のことだけに焦点を絞った。エネルギー問題。原発に賛成・反対に関しては横に置かせてもらった。本当は、すごく大切な話だとは思うけど、現実に起こってしまった以上、その話を加えると観点がずれるような気がしたからだ。



誤解承知で、簡単にまとめるとこんな感じかな?

この3つが、頭の底にあってのリプライだった。




その後、高濃度の放射能汚染水漏れが公表された。亀裂が一箇所かすら分からない。まだ施設破壊の全容なんて、一般庶民には謎の謎だ。

ここ、西日本(京都)では、TVでのニュースが減った。エジプトの反政府デモ並とまでとはいえないけども、情報量はそれに近くなってきたんじゃないかと感じている。

まじめに恐い。




これ、腰痛紛らわしの文章。でも、痛みからは逃げられない。根源から目を背けるのは難しいのを実感。

ちなみに腰痛と福島原発に因果関係なし。それだけは確実な真実。

學天則

「1928年に作られた東洋初のロボット「学天則」を復元したものです。圧縮空気を使ってなめらかに動き、人間の想像力を表現しています。」

今週、水曜日に大阪市立科学館のプラネタリウムに行く予定だった。

諸事情で自分だけパスしてしまったんだけど。
その小冊子、おそらく子ども用に作成されたガイドブックにある「學天則」の説明が上にある文章。もちろん、本物ではなく、実物大のレプリカだ。

カレル・チャペック(その兄かな?)が「ロボット」という造語をつくったのが1921年。
アイザック・アシモフが「われはロボット」を発刊したのが1950年。
「鉄腕アトム」を手塚治虫が連載スタートしたのがその翌年。

「學天則」は、製作した生物学者が「天則に学ぶ」という意味で名前を付けたそう。



アシモフの作品に出てくるロボット三原則はこんな感じ。

第1条:ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

第2条:ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

第3条:ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
(ウィキペディアより抜粋)


「鉄腕アトム」に出てくるロボット法にも似たような記述がある。

・ロボットは人間を幸せにするために生まれたものである。
・ロボットは人間につくすために生まれてきたものである。
・ロボットは人を傷つけたり、殺したりしてはならない。

http://www.asahi.com/ad/clients/atom/world_robotlaw.html  より抜粋)


本物の「學天則」はドイツに売られて行方不明……おそらく廃棄になったらしい。

アシモフの作品は短編集で、ロボットシリーズなので粗筋をまとめるのは無理だけど、誤読承知で簡単にまとめてしまうと、三原則と人間が、機械と心の絡みがメインになっている。

「鉄腕アトム」の世界観もそれに近い。

アニメ「鉄腕アトム」の最終回は、調べれば出てくると思う。「たったひとつの冴えたやりかた」(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア)と似ているといえば、似てる。


個人的にはマンガ「鉄腕アトム」で読んだ「アトムの最後」(?)が印象に残っている。「鉄腕アトム」その後の話って感じだけど、いわゆる番外編。

アトムは博物館みたいなところに置かれていて、ちょうど「猿の惑星」みたいに、ロボットが支配する世界になり、人間は道具になっていた……という設定。タイトルとは裏腹にアトムは脇役だ。それに、手塚治虫の一部作品にあるように結末は救いようのない箇所に落ちる。


たしか、手塚治虫漫画全集で読んだのかな?

何冊出てるの?っていう黒っぽいやつね。



「學天則」から始まって、なんとなく「鉄腕アトム」番外編を思い出していたのが昨日。

ロボットが、あれのメタファー?

そうかもしれない。

アトムの妹の名前が、あれだもんな。



アトムの妹。頼むから、祈るから、お願いだから、もう、おとなしくしててよ。

note



タイムマシーン、ないからね……

「いろいろ思うこと」の一部だ。

まとまりのない「いろいろ思うこと」だ。



今は、等身大で「やれること」をやる。

等身大といれたのは、一過性じゃなく継続していかなくては意味がないと思ったからだ。

「やれること」をやりきって、続ける。


できる限りの情報をインプットして、多方面の人たちの意見も読んだ。

思考の過程、省略。これが今日現在の、自分の、考え。



例えば、こんなことをしている、しようとしている人がいる。

有名、無名、年齢、肩書き、そんなもの関係なく、すべて素晴らしいと思う。




http://ameblo.jp/kbp-bokin-twitt/

Twitter発!高校生募金プロジェクト(KBP)
関西の高校生2人が立ち上げた募金企画。


まだ企画という点では未熟だし、今後どうなるかは分からない。それを本人たちも承知で動いている。




http://ameblo.jp/haradayukinori/entry-10833109306.html

【義援】チャリティペダル A/B Box


自作ペダルの販売。もちろん、使う人が限定されたものだし、どれだけの助けになるかは分からない。これもまたそれを承知で動いている。

本文の最後にこんな文章がある。


『最後に。
これを偽善だと笑うなら笑えば良い。
「やる偽善とやらない偽善ならやる偽善を」って良く言ったもんだ。
俺は偽善と言われようとなんだろうと、やれる事をやるだけです。 』




http://twitter.com/toddyphantom

戸高賢史(art-school)のツイートから引用。


@toddyphantom じゃあ何が出来るか。腰を据えてゆっくり考えれば良いじゃないかと。焦って良い事なんて何もない..。自分は取りあえずphantom fx製のチャリティーPICKを製作し、アメリカに発注しました。売り上げは全て寄付します。小さな事からこつこつと、です!


まだ仮だけど、そのピックの画像。

http://twitpic.com/49bulk




このピックに書かれている文字。

「再生」には、共感した。


個人的に、ものすごく個人的な偏った受け止め方で、ひねくれてると自覚してるのだけど、どうも「復興」という表現に違和感がもっていた。

もっていた。

そう、ずっと前から。

阪神・淡路大震災のあとも、「以前の状態に戻す」という意味の「復興」にはなっていない。


ひとつひとつの天災は決して比較するものではないのは分かってる。これがいちばん身近に体験したので、あくまで例として。ただ、今回も、哀しい現実だけど、以前の状態に戻すことは難しい。


で、生物学的な意味での「再生」が、ものすごく自分のなかでしっくりきた。

プラナリアみたいには無理かもしれないけど、せめて、トカゲのしっぽみたいに不完全でも「再生」できればと思う。


ただでも、日本ヤバイとか言われてたときに、この地震なんだから。

そのためには「We pray...」じゃなく「...play」でもなく「....act」しかないんだろうと思う。


「再生」。

もうひとつの意味として、音楽や映像の再生がある。

ピック発売されたら、買う。

もちろん、弾くために使うとは思うけど、穴でも開けて携帯ストラップかペンダントトップにでも加工しようかなと考えてる。


見る。考える。動く。続ける。

「人生ギャンブル」とか「逃げるなら逃げ切ったらOK」とか思ってる、ちっぽけな自分だしね。

自らへ、忘れないためと、戒めのためかな?

力仕事はダメだし、被災地にいったらアレルギーで皮膚炎か喘息発作で迷惑かけそうだし、それでも何かやれることがあるはず。動き出したたら、ねちっこい性格だと自覚してるしね。何かある。絶対に何かある。


次世代に恥ずかしい行動はとれない。

次世代に負の遺産は残してはいけない。


そう、強く、思う。




あぁ、まとまってねぇ、文章。

何かあるなら、具体的に「これします!」って書けよなぁ。

まあ、とりあえず、前向きです、ということ。

自分は無力だ。
現実は現実のままだ。
いろいろと思うことはあるけれど。
長くなるし、うまく伝える自信もないので、ここに残すのはやめた。
だから、まじめに不真面目することにした。しばらくの間、句点「。」の代わりに「☆」を付ける。
他に、もっと良い記号があるかもしれない。
とりあえず、無力なりの、どうしようもないけど前向きになって欲しい願望の印みたいなものかな?


救出に関わってる人たちが無事でありますように、ひとりでも、ひとつでも、多くの命が助かりますように☆